の記事で、自分で適職や天職を知っても、全然、動くことがなかった私の昔の例を書きました。
今考えれば、その時は、頭で考えて、身の保身が一番。
魂的な満足は、そっちのけ。
だから、反応しなかったのだと感じています。
本当に、気が付かないのです。
自分の天職や適職を、神(存在、源)は教えてくれていたのだけど、やったことがないことよりも、今まで築き上げた環境で続けていくことの方が、楽だから。
だからエゴは、魂に目覚めてもらいたくないと思って、スルーさせる。
この、「反応しない、気が付かない」って感じって、
スピリチュアル本である個所を読んでピンと来なかったけど、
何年後かに読んだら、ピンと来て、赤線だらけになってから、
昔は本当に反応していなかった、気が付かなかったんだなって言う形で気が付くこと度々、
なぜ昔は感動しなかったのかが不思議になる感じと、ちょっと似ている感じ。
まあ、自分の人生のステージによって、気付きのレベルは変化するから当然だけど。
ちなみに、この気付きって、頭でなくて、ハートでの気づき。
腹の底からの腑に落ちる感じ。
それができるだけの魂の柔らかさがないと、天職も素通りするのだろう。
そして、これは、勉強ができるみたいな頭の良さとは全然関係ないもの。
高校の時、同い歳の男の子が農業を継ぐと言っていって、すごく、尊敬したことがあった。
彼は成績が良かったわけではないけど、自分の魂に沿って生きる強さがあった。
魂の柔軟性があった。
自分のやりたい事に寄り添う強さがあった。
(今、書いていて、昔、彼に感動したかが、わかった!
その当時の私にはない自分の心に従う強さがあったからだ!
まあ、私も嫌いな学科は勉強しないし、教師になりたかったので教職の取れる大学に行った事から考えると70~80パーセントは好きな事をしていたんだけど。
でも、それは嫌いな事はしないし、漠然とした好きな感じに向かっていただけ。
彼みたいに、当時の「大学進学の方がカッコイイ」という世間の風潮から外れても自分は自分の道を行く!みたいな感じがあったかというと疑問だ)
さて、話を戻し、
なんで、自分の天職がぶら下がっていても、気が付けなかいのか?
って考えたら、
ハートを、あんまり使っていなかったから。
自分の魂に寄り添おうとしていなかったから。
そんな、まだ、目覚めの前の段階にいる魂に贈るフラワーエッセンス
FESの
カイエンヌ
魂の火の部分を目覚めさせ、霊的・感情的な進化を起こし変化、行動を促す
カイエンヌって、唐辛子の花。
う~、辛そう!
火の要素、ってスゴイわかる!
考えるだけで、魂がスパークする感じ!
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